球場跡地と麺②-川崎球場-
第二回目は、私が最もよく通っている球場跡地で、跡地利用としてもとても合理的であると考えられる場所です。球場閉鎖後の状況は以前ここでも紹介しているので、詳しいことはあまり書きません。
2.川崎球場 -高橋ユニオンズ、大洋ホエールズ、ロッテオリオンズ-
「閑古鳥の鳴く球場」として有名だった「川崎球場」。元々人気のなかったパ・リーグの弱小球団が本拠地としていたため、ガラガラのスタンドで麻雀や流しそうめんが行われる様子が普通でした。
元々は社会人向けの球場でしたが、1954年に高橋ユニオンズが本拠地として使用を始め、翌1955年からは大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)も川崎球場を本拠地としました。大洋が本拠地としている間、川崎球場では王貞治が「一本足打法」を披露したり、阪神の佐野仙好が外野フェンスに激突して頭蓋骨を骨折、日本の球場におけるラバーフェンス設置のきっかけになるなど、大きな事件もありましたが、球史に残る出来事は、1978年大洋の横浜移転後に川崎を本拠地とした、ロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)の時代に多く起こりました。
この頃の川崎球場は老朽化が進み、古くて狭い球場で行われるパ・リーグ弱小球団の試合に関心を持つ人は少なくなりました。駅前や銭湯で無料券を配っても入場者は増えず、この頃から「閑古鳥の鳴く球場」となりました。そんな球場でも、1980年に張本勲が日本初の通算3000本安打を本塁打で達成、1985年に落合が三冠王達成するなど、偉大な記録達成の舞台となりました。
そして1988年、「10.19」として語り継がれる伝説のダブルヘッダーが川崎球場で行われ、閑古鳥の鳴く球場が伝説の舞台となりました。
10.19をきっかけに川崎球場は改修を重ねましたが、それでも隠せない老朽化と、異常に少ない観客動員を理由に1991年を最後にロッテは千葉へ移転、2000年に球場は閉鎖されました。
ちなみに1991年、ロッテは「テレビじゃ見れない川崎球場。」というキャッチコピーを掲げ、球団史上初の観客動員100万人を達成しました。初芝清の応援歌にも歌われたロッテの悲願が達成されたものの、翌年に移転してしまうというのに悲しさを感じます。
そんな川崎球場跡は、現在どうなっているか。以下の記事に答えが書いてあります。
記事の一番最後に書かれているように、川崎球場跡は現在「富士通スタジアム川崎」として使用されています。アメリカンフットボールチーム「富士通フロンティアーズ」の本拠地として、主にアメリカンフットボールの試合に利用されています。
試合のある日には出店も並び、日本のアメフトファンでとても盛り上がっています。
見た目は全く別の球場になってしまいましたが、スタジアム内には、フェンスの一部など川崎球場時代の遺構が残っており、かつての面影を感じさせます。
またスタジアム外には川崎球場時代の備品や記念品を展示する施設もあり、張本の3000本安打記念品などの貴重な資料を見ることが出来ます。
富士通スタジアム川崎では、毎年「川崎球場の歴史を振り返るイベント」を実施し、川崎球場時代の歴史を後世に語り継ごうとしています。球界の歴史に名を刻んだ球場は、使用されなくなった後も「川崎球場」として生き続けています。
今回紹介する麺は私は、あまり好んで食べるタイプではないものの、結構本格的でおいしいと言われているお店です。
京急川崎駅近くにある「麻婆まぜそば 麻ぜろう」では、その名の通り麻婆豆腐を麺にかけた「麻婆まぜそば」が食べられます。
スパイスのよく効いた麻婆豆腐はほどよくしびれる辛さで、本格的な味わい。ムチッとした特注平打ち麺に麻婆豆腐がよく絡み、UmamiとKaramiを同時に味わえます。
ライスは無料でつけることができ、余った麻婆豆腐を上にかけて丼として〆ることもできます。この旨辛さ、ビールが欲しくなるかもしれません。
私は辛いものがとても苦手ですが、そんな人でも温玉を割ってマイルドにしながら食べると美味しく味わえます。
辛いものジャンキーからも一定の評価を得ている麺屋です。麺好きも、四川麻婆豆腐が好きな人も、近くに来たら寄ってみてください。