BBBB(ベーコンの暴飲暴食ブログ)

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球場跡地と麺③-横浜公園平和野球場(ルー・ゲーリック球場)-

 今回扱う球場について、本来のテーマとズレているではないかとか指摘を受けそうですが、「球場の跡地」が今どのようになっているか、という点を見るのが目的なので、こういう例もあるんだなということで見逃してください。

 

 

 

3.横浜公園平和野球場(ルー・ゲーリックスタジアム)

 

 

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 神奈川県横浜市にあった「横浜公園平和野球場」の歴史は、明治時代まで遡ります。

 

 

 1874年、横浜にあった外国人居留地クリケットグラウンドが作られ、ここでクリケットや野球が行われました。1896年には旧制第一高等学校と横浜在住のアメリカ人チームで野球の試合が行われるなど、日本と海外のスポーツ交流の場として用いられました。

 

 1923年の関東大震災でグラウンドがあった公園が損壊し、その復興事業として1929年、「横浜公園球場」が完成しました。こけら落としとして早慶新人戦が行われ、スタンドは満員になりました。

 

 

 1934年、この年行われた「日米野球」は、ベーブ・ルースルー・ゲーリックレフティ・ゴメスら超大物メジャーリーガーが参加し、日本における職業野球(プロ野球)創設のきっかけとして知られています。その第九戦がこの横浜公園球場で行われ、全日本は4-21で大敗しました。しかし、今でも伝説として語り継がれているメジャーリーガーがこの球場でプレーをしたというのはとても大きな出来事です。

 

 

 戦後、この球場は米軍に接収されることになりました。接収後も球場では野球が行われ、球場名も開戦直前に亡くなったルー・ゲーリックにちなみ「ルー・ゲーリック球場」と変更されました。

 接収中は主に連合国軍の兵士らによって野球が行われていましたが、その際に夜間でも試合ができるように、連合国軍によってナイター設備が整備されました。日本の球場でナイター設備はまだ普及しておらず、プロ野球でもナイターゲームは行われていませんでした。

 

 

 そんなナイター設備に注目したプロ野球は、連合国軍から球場を借り受け、1948年8月17日、日本プロ野球初のナイターゲーム東京巨人軍-中日ドラゴンズ戦)が行われました。結果は3-2で中日が勝利しました。

 

 それまで大学野球ではナイターゲームが行われていたものの、プロ野球での開催はこれが初でした。しかし、このナイター設備は現在ほど明るく照らすようなものではなく、球がよく見えないことからトラブルがいくつか発生したそうです。

 そんな環境がとてもいいとは言えないようなナイター初試合でしたが、ナイターゲームが普通となっている今を考えると大きな出来事であり、この日は「プロ野球ナイター記念日」として記念日にもなっています。

 

 

 その後1952年に球場の接収が解除され、1955年に球場名が「横浜公園平和野球場」と変更されました。以降、この球場は「平和球場」として横浜市民に親しまれるようになりました。

 

 その後もこの球場では多くの試合が行われましたが、プロ野球メインではなく、学生野球や社会人野球が主な試合でした。

 結局「横浜公園平和野球場」を本拠地とするプロ野球球団はなく、老朽化も進み1970年にはスタンドの上半分が使用禁止となりました。その結果収容者数が激減し、アマチュア野球の大会でさえ使えない球場となってしまいました。

 

 

 そして1977年、横浜公園平和野球場は解体され、球場跡地で新しい施設の建設が始まりました。

 

 

 

 

 球界の歴史に残る一戦が行われた横浜公園平和野球場。解体された後、跡地はどのように利用されたのか。

 

 「横浜公園平和野球場」という名前からわかっている人も多いと思いますが…

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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 収容者数が減った球場に対し、横浜市に対して球場の建て替えを求める署名が寄せられ、それと同時に川崎を本拠地としていた大洋ホエールズから本拠地移転の申し入れがあったために横浜公園平和野球場は1977年に解体、翌1978年に完成したのが、現在の

横浜スタジアム」です。

 球場跡地の、建て替えによる球場利用です。前回も一応フットボールスタジアムへの転用だったので、それと大差なさそうですね。

 

 

 球場完成と同時に大洋ホエールズは横浜に移転、球団名を「横浜大洋ホエールズ」と改めました。以後、大洋、横浜主催公式戦をはじめ、日本初の多目的スタジアムとしてアメフト、コンサートなど様々な用途で使われています。

 

 更に球団が横浜DeNAベイスターズとなった後、球場の「ボールパーク化」構想が進展、2015年に株式会社横浜スタジアムDeNAの子会社化し、球場設備、サービス面が大きく変わり、チームの好調も相まって大人気球場となりました。

 

 さらに2021年に開催が予定されている(2020年9月時点)東京オリンピックの野球・ソフトボール会場に横浜スタジアムは選ばれ、外野席に「ウィングシート」を増設、世界に誇れる球場へと進化を遂げました。

 

 

 

 大物大リーガーがプレーし、日本初のナイターゲームが行われた球場は、建て替えられて世界に誇れる球場として生まれ変わりました。今でもスタンドには日米野球が行われたことを記念し、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリックのメモリアルレリーフが埋め込まれており、横浜公園平和野球場の記憶を残しています。

 

 TBS時代はどうだったか?その頃もいい球場でした。あの頃もいろんなサービス等で人を集めようとしていましたね。三浦大輔グローブプレゼント、ハーパー本塁打時の有明のハーバー無料配布、スタプリタイム等、子どもながら嬉しいサービスが結構ありました。

 まあチーム成績があれだったのでスタンドはくっそガラガラでしたが。

 

 

 

 

 

 

 野球を観る目的でしか利用したことのないハマスタ最寄りの関内駅ですが、球場とは反対側の出口から北へ少し歩くと、私の大好きな麺屋があります。

 

 

 「灰汁中華丿貫 福富町本店」。昼はラーメン店、夜は日本酒専門店の二毛作を行っており、濃厚な煮干ラーメンを味わえるお店です。


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 本店は夜の部のみ訪問。ここでしか味わえない残草蓬莱や昇龍蓬莱といった日本酒や、絶品の料理が味わえます。

 

 日本酒は+100円で炭酸化することもでき、これまでに味わったことのない、新しい飲み方を楽しむことができます。また、ここ限定の「残草蓬莱『Queeen活性にごり』」のように、元々微炭酸の日本酒もあります。

 

 蔵元さん曰く「今は炭酸化した日本酒が人気が出始めている。普通の日本酒でも、炭酸化すると味わいが変わったりして面白く、いろんな酒蔵が注目している」んだそう。

 一度ここを訪れた蔵元さんは、日本酒を全種炭酸化して飲み、歩けないほどべろべろになってしまったそう。それほどおいしいということですね。

 

 

 夜間の日本酒専門店の時間でも、〆に煮干蕎麦を食べることができます。煮干をベースに、様々な食材をスープとした、とってもUmamiたっぷりのラーメン、そして数量限定ですが余ったスープをリゾットにして〆ることができます。

 トッピングは葱だけですが、それだけでも十分。その日のラーメンが何かはTwitterをチェックです。

 

 

 

 蔵本の人がおいしくてつい飲み過ぎてしまうという日本酒と、ついつい頼みすぎてしまう料理、そして絶品煮干中華。

 仕事終わり、遊んだ帰り、お祝い事の際に是非一度訪れて見てください。

 なお、夜営業は予約をしたほうが、確実に座れるので電話予約を推奨します。