球場跡地と麺⑧ -東京スタジアム-
私事ですが、先日大学を卒業しました。大学周辺の麺屋を巡りきれなかったことが心残りです。
【目次】
球場完成まで
この球場の竣工は1962年。後楽園球場でのプロ野球過密日程の解消のために作られました。
元々この場所には「千住製絨所」がありました。1879年、それまで輸入に頼っていた軍服の国産化のため、明治政府によって千住の地に軍服の生地を作るための工場が作られました。
ドイツで毛織技術を学んだ井上省三が中心となり、日本で初めて蒸気力を用いて羊毛から軍服を製造する工場として、長年操業され続けました。
しかし、戦後の1945年、敗戦に伴い操業を停止し、1949年に大和毛織に払い下げ、軍服需要の低迷もあり1960年に操業停止、閉鎖されました。
そうして千住の地に、広大な廃工場が残りました。
この土地に目を付けたのが、映画会社大映。後楽園球場の過密日程問題解消のため、大毎オリオンズのオーナー、永田雅一が、私財を投じてこの土地を取得。1961年にこの土地に球場の建設が開始、翌年に「東京スタジアム」が開業しました。
球場の概要
球場建設においてモデルとなったのは、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地であった「キャンドルスティック・パーク」でした。
当時のメジャーの最新の設備を参考として建設された球場は、収容人数35000人、デジタル式のスコアボード、内外野に敷設された天然芝、広いロッカールーム、本塁打後の「HomeRun」の表示など、当時としてはとても画期的な設備が備わっており、選手から非常に好評だったそうです。
また、選手の怪我防止のため、1966年には日本で初めてフェンスにラバーフェンスが設置されました。
更にこの球場の一番の特色が、場内に設置された6基の照明塔。2本のポール型鉄塔がサーチライトを支えるという当時としてはとても画期的な形状であっただけでなく、1600㏓という高照度(現在のプロ野球球場は、内野で2000㏓程度であることが多い)であり、永田もこの照明の明るさには自慢気だったそうです。
当時、下町である千住の地には高層の建物が少なく、ナイターゲーム開催時にはこの球場の明かりが遠くまで見えました。そのため、東京スタジアムは「光の球場」と形容されるようになりました。
一方、敷地が球場建設には狭かったこともあり、両翼90m、中堅120mであったものの、左中間と右中間は膨らみがなく、「本塁打の出やすい球場」と言われていたこともありました。
閉場まで
そのように最新の設備を擁して1962年に東京スタジアムは開場しました。
6月2日、パ・リーグ6球団が一堂に会し、16時から盛大に開場式が挙行、永田の「皆さん、パ・リーグを愛してやって下さい!」という言葉に満員のスタンドは大いに沸きました。
初戦は同日、19時から行われた大毎対南海。球場第一号は、伝説の捕手、南海の野村克也でした。
その後、大毎オリオンズの本拠地球場として東京スタジアムは使われ、東映、国鉄、大洋といった巨人以外の関東本拠地球団にも貸し出しが行われていました。
また、球場地下にはボウリング場が、シーズンオフにはスタンドとグランドにスケート場が開設され、野球ファン以外も楽しめる球場となっていました。
しかし、肝心のオリオンズの成績は低迷。永田がライバル視していた巨人がV9を達成する裏で大毎はBクラスで過ごす日々が続きました。
1964年には球団名を「東京オリオンズ」に改称。しかしチームの成績は上向かず観客動員も減少の一途をたどっていました。
そんな中1969年、ロッテを冠スポンサーとし「ロッテオリオンズ」と改称すると、翌1970年、6月に首位に浮上するとそのままロッテは首位を独走。10月7日に東京スタジアムで西鉄を倒し、10年ぶりにパ・リーグを制覇しました。
優勝決定の瞬間、ファンがグラウンドになだれ込み、真っ先に永田オーナーを胴上げしたそうです。
そして歓喜の渦巻く球場に、ロッテ応援団が応援歌として使っていた「東京音頭」が鳴り響きました。
1971年、経営の悪化していた大毎はロッテに球団の経営権を移譲、その後大映は倒産し、東京スタジアムの赤字も膨らんでいきました。
1972年に球場の経営が国際興業の小佐野に移ったのち、小佐野はロッテに球場の買い取りを求めました。しかしロッテ側は乗り気ではなく、交渉決裂ののち球場の閉鎖が決定してしまいました。
時代の最先端を走った「光の球場」はなんともあっけない最期を迎え、本拠地を失ったロッテオリオンズは、以後「ジプシーロッテ」として、1978年の川崎球場の本拠地化まで、宮城を暫定本拠地としつつ彷徨う球団となっていきました。
「光の球場」の現在
そんな「光の球場」こと東京スタジアム。広大な敷地を残し無くなった球場の跡地は、現在どのようになっているのでしょうか。
東京スタジアムの跡地には、現在
・荒川総合スポーツセンター
・南千住野球場
・警視庁南千住警察署
・都営アパート
が建っています。
敷地の大部分は1984年に建設された荒川総合スポーツセンターと南千住野球場になっており、体育館、温水プール、柔道場、剣道場、卓球室、エアライフル場が備わっています。
幼少期の北島康介は、このプールを利用していたそうで、五輪での活躍の際、このスポーツセンターも知られるようになりました。
南千住野球場は軟式専用球場であり、私が訪れた際は中体連の春季大会の真っ最中でした。
しかし、スポーツセンター、野球場含めかつてここにプロ野球専用球場があった痕跡は残されておらず、あるのは「千住製絨所」があったことを示すオブジェと、井上省三の胸像のみでした。
あっけない最期を迎えた「光の球場」。存在は現在では一部の野球ファンにのみ知られ、現地ではその痕跡をたどることができない、なんとも寂しい、悲しい球場となっていました。
麺
荒川総合スポーツセンターの横に、一軒のお蕎麦屋さんがあります。
「おおもり」は、東京スタジアムの建設途中から営業する老舗蕎麦屋です。
球場の建設作業員やオリオンズの選手も立ち寄ったといわれる店の味を味わいに行こうとしたものの、まさかの定休日。
残念ながらこの日に味わうことは叶いませんでした。
肩を落としつつ、少し離れたラーメンの名店に行くことに決めました。
小雨の降る中向かったのは三ノ輪橋。
東京屈指の名店「トイ・ボックス」です。
鶏と水だけで炊かれたスープに、6種の醤油を配合した香り高いカエシ、仕上げにかけられる芳醇な鶏油はUmamiも強く、麺はしっかりと噛み応えがあり、小麦の香りも強い。ワンタンは餡がたっぷりで肉々しさ抜群。チャーシューは見た通りで最高。
とにかく美味しい。見た目も、味も美しい最高の一杯です。
ミシュランでは2015年からずっとビブグルマンに選定。醤油が人気ですが、TRY(東京ラーメン・オブ・ザ・イヤー)では塩、味噌もランクイン。
これは全メニュー制覇するしかない。みなさんも是非三ノ輪に来た際には訪店を。
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