あけましておめでとうございます。本年も強く生きていきたいです。
球場跡地のストックがなくなりました。両親からバイト以外の外出を禁じられているので近いうちの更新は厳しそうかも・・・
6.戸塚球場-早稲田大学-
「戸塚球場」という名前ですが、所在地は東京都新宿区西早稲田。早稲田大学早稲田キャンパス横にあった球場です。
戸塚球場は、1901年に創部した早稲田大学野球部の専用球場として、1902年に建設されました。
当時「野球場」というものは日本には非常に少なく、この戸塚球場は東京を代表する野球場の一つとなりました。
そのため、草創期のプロ野球が球場を借りるなど、本格的や球場として知られていました(後述)。
そのような特別な球場であるため、ここから始まった歴史や伝統も数多くあります。
有名なものとしては、1908年、早稲田大学がアメリカの大リーグ選抜を招いてこの球場で試合をした際、早稲田大学の創設者、大隈重信が日本で初めて始球式を行いました。
その際、大隈が投げたボールが大きく逸れ、早稲田の一番打者が大隈に恥をかかせまいと空振りをしたことで、始球式における空振りが一般的となった話は有名です。
また、日本で初めてナイター照明が設置されたのも、この戸塚球場です。
1933年、30.6mの照明塔が6基建てられ、そこに1.5kWの電球が156個取り付けられました。当然ですが暗く、内野で150ルクス、外野で90ルクス程度の明るさでした。
100ルクスが街灯下の明るさと言われてるので、野球をやるには危険な暗さです。ちなみに今の野球場は、内野で1000ルクス、外野で750ルクスが下限と定められています。さらにプロ野球は、テレビ放映等の関係もあるため、この倍の明るさであることが多いです。
1936年7月、東京で初めてのプロ野球の試合が開催されました。その球場も戸塚球場でした。
当時はまだどのチームも本拠地球場を持っていませんでした。そこで元早大野球部監督で連盟理事長の市岡忠男が当時の早稲田大学総長、田中穂積に球場借用を懇願し、「連盟結成記念 全日本野球選手権試合」が開催されました。
7日間で計9試合が行われ、35000人以上の観客が観戦。春先のリーグ戦には参加しなかった東京巨人軍(現:読売ジャイアンツ)はこの試合が初めての対外試合でした。「球界の覇者」と表されることもある巨人軍の歴史は、戸塚球場から始まりました。
ちなみにこの「連盟結成記念 全日本野球選手権試合」は7球団によるトーナメント戦で、東名阪の3都市で各一回ずつトーナメントを開催。東京大会と名古屋大会は敗者復活戦がありました。
戸塚球場で行われたこの大会の首位チームは名古屋軍(現:中日ドラゴンズ)でした。
初戦で東京巨人軍を8-9で、準決勝で阪急軍(現:オリックス・バファローズ)を13-3で、決勝で東京セネタース(後の翼軍。翼軍出身者により現在の北海道日本ハムファイターズが作られた)を0-1で破り、首位となりました。
なお、各都市で行われたトーナメントの勝者でプレーオフを行う予定も、球場が確保できなかったため、この年の優勝チームは決まっていません。
戸塚球場は、東京六大学野球が神宮で行われるようになってからも、高校野球東東京大会の会場として使われるなど、学生野球の聖地の一つとして使われてきましたが、1987年の「さようなら安部球場 全早慶戦」(球場は1947年に「安部球場」に改名)を最後に閉鎖されました。
一大学の野球場にとどまらない、日本野球の礎となった偉大な球場は、今どのようになっているのでしょうか。
現在、戸塚球場のあったところには立派な建物が建っています。
これは「早稲田大学総合学術情報センター」です。
1991年に開館し、学術情報の収集・提供と生産・発表を有機的に一体化することを目的としています。
内部には日本屈指の蔵書数を誇る中央図書館と国際会議場をはじめとした会議室、研究室があり、早稲田の学問における中心となっています。
なお、センター建設に際して戸塚球場取り壊しの後に行われた敷地調査において、地中から弥生時代の遺跡が発見されました。大規模な環濠集落跡で、「下戸塚遺跡」と名付けられました。
学術情報センターの敷地内に、胸像が二体あります。
左が「学生野球の父」とも呼ばれる、早稲田大学野球部初代監督の飛田穂洲、右が「日本野球の父」と呼ばれる早稲田大学野球部創設者であり、初代部長の安部磯雄です。
両者とも日本野球の発展に尽力した人物。野球殿堂入りもしており、その功績は偉大です。
元々両者の像は戸塚球場のセンター後方にありましたが、学術情報センター建設に際し現在の位置に移されました。
現在も「日本・学生野球の父」は、歴史と伝統のある球場のあった早稲田で、学生達を見守っています。
学術情報センター横の坂「グランド坂」を上り、早稲田通りを東へ。地下鉄早稲田駅を通り過ぎてさらに500mほど歩くと、「自家製中華そば としおか」があります。
かつて高田馬場で愛された店「べんてん」の味を受け継ぐ店。店主は「べんてん」出身です。
※後に「べんてん」は成増で復活。
麺量は並で250g,中盛350g,大盛650g,特盛1000g。いずれも茹で前。学生の腹を満たすありがたいサービスです。
今回頼んだのは「ラーメン」。最初に動物系のUmamiがグッときて、次いで魚介のUmamiがふわっとフェードインしてくる。このUmamiのバランス、たまらない。
麺は特飛竜使用の中太麺。モチッとした食感でしっかりと小麦の強い香りを感じます。Umamiの強いスープに負けないしっかりとした小麦感でUmamiと香りの調和を楽しみます。
チャーシューは乗せる前にカエシに浸して提供。手切りで分厚めなチャーシューはトロトロで最高。
メンマは甘みがあり、コリっとした食感。細めのものが何本もあります。
個人的に印象に残ったのは海苔。店内の段ボールには「寿司」と書かれており、寿司用の海苔をラーメンに使っている模様。
そのため香りが強く、クタっても破れないしっかりとした海苔になっています。
香りが強いということは、濃い味やUmamiに負けないということ。スープと共にいただいても海苔の味をしっかりと感じることができます。
店主さんが仕込みから調理まで全て一人で行っているため、営業時間は短く、回転も遅め。
それでもこの味を求めて遠くから来る人もいます。
今は成増で「べんてん」は食べられますが、その弟子が受け継いだ味を、早稲田で味わってみてはいかがでしょうか。