BBBB(ベーコンの暴飲暴食ブログ)

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球場跡地と麺④-駒沢野球場-

 試験が終わりました。来年も学生か、それとも無職のフリーターになるのか、水曜日に結果が出ます。

 

 

 

3.駒沢野球場-東映フライヤーズ-

 

 

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 球場跡について調べてみると、首都圏の球場建設の大きな目的の一つに「後楽園球場での過密日程の解消」があるようです。

 

 1952年のフランチャイズ制導入以後、関東近郊においてプロ野球公式戦を開催できる球場が少ないことから、後楽園球場を多くの球団が本拠地として利用するようになりました。

 結果、1953年シーズン時点で後楽園球場を本拠地としていた球団は、読売ジャイアンツ東急フライヤーズ(のちの東映、現:北海道日本ハムファイターズ)大映スターズ(のち毎日と合併、ロッテの前身の一つ)毎日オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)国鉄スワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)の5球団であり、ダブルヘッダーはもちろん、トリプルヘッダーも組まれるなど、後楽園球場での過密日程が問題となっていました。

 

 

 そこでその過密日程解消のため、各球団が本拠地となる球場建設を始めました。

 まず1953年、旧陸軍駒沢練兵場跡に東急が「駒沢野球場」を建設しそこに移転、(球場は完成後、東京都に寄付)

 遅れて1962年に大毎(大映と毎日の合併球団、現:ロッテ)が新たに建設された東京球場に移転、

 1964年に国鉄神宮球場に移転し、やがて後楽園球場の過密日程は解消されました。

 

 

 

 旧陸軍駒沢練兵場跡に作られた駒沢野球場は、後楽園球場の過密日程解消以外にも、自社線沿線への誘客という目的もありました。

 当時あった東急玉川線(現:東急田園都市線の一部)の駒沢駅近くに球場があり、さらに公式戦開催時に近隣の駅からバスを出すなどし、顧客輸送に力を入れていた様子がうかがえます。

 

 しかし、球場建設が急ピッチで進められたこともあり球場設備は決していいものではなく、グラウンドも内外野共に土のグラウンドでした。

 また当時は周辺が畑ばかりで、肥料の悪臭が漂ってきたりすることもあって、決して評判もよくありませんでした。フライヤーズの選手も環境の悪さを嘆き、球団の低迷もあって、初期は観客動員数も芳しくない状態が続きました。

 

 

 その後、球場を整備、照明の設置や外野への芝の設置などの改良を施すと、球団の好調も相まって観客動員数は徐々に増加。のちに3000本安打を記録する張本らを擁し「駒沢の暴れん坊」の異名を持ったフライヤーズは、1961年に名将、水原茂を招聘すると、黄金時代へと進んでいきました。

 

 

 しかし同年、東京都から「1964年開催の東京オリンピックの会場整備のために、用地を返還して欲しい」という要請がありました。球場の所有者は東京都であるため、同年限りで駒沢野球場は完成からわずか9年で閉鎖、東映フライヤーズは本拠地を神宮球場に移すことになりました。

 

 皮肉にも、「駒沢の暴れん坊」と呼ばれたフライヤーズは、水原監督の下移転初年度の1962年に球団史上初のリーグ優勝、更に日本一にも輝きました。初めての胴上げは、駒沢では叶いませんでした。

 

 

 

 プロ野球では駒沢野球場での胴上げは叶いませんでしたが、学生野球では歴史的な胴上げの舞台となりました。神宮球場での全日程開催が難しかった東都大学リーグのうち、いくつかの試合が駒沢野球場で行われました。

 

 

 1958年の秋期東都大学リーグは、大接戦の末、中央大、日本大、学習院大が並び、優勝決定戦が行われることになりました。しかし優勝決定戦を二回行っても優勝が決まらず、第三戦が神宮球場から駒沢野球場へと舞台を移して行われました。

 

 11月23日に学習院が日大に勝利すると、翌24日、中大相手に5-2で勝利し、同大初の東都大学リーグ優勝を決めました。当時在籍していた皇太子殿下(現上皇陛下)も見守る中での優勝に大学野球のみならず大きな話題となり、AP電(AP通信)が全世界に向けてこの優勝を伝えるほどの出来事となりました。

 

 なお、2020年現在、東都大学一部リーグにおける学習院大の優勝は、この一度のみとなっています。

 

 

 

 オリンピックのために都に返還されることになった駒沢野球場。その後、どのように転用されたのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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 お察しの通り、駒沢野球場は、都に返還されたのち「駒沢オリンピック公園」として整備されました。野球場は取り壊され、球技場、体育館等が建設、オリンピックの第2会場として使用されました。

 

 オリンピック後も公園内の施設は様々な大会に用いられ、大会のない日も園内を散歩するカップル、芝生で遊ぶ親子連れ、ランニングをする陸上部員、ベンチで体を焼くおっさんで賑わっています。

 

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第二球技場 この第二球技場と補助球技場の間あたりに駒沢野球場があったとされている



 なお、現在公園内には「硬式野球場」がありますが、これはかつての駒沢野球場とは全くの別物。

 

 

 高校野球等で使われるこの球場は、2018年より工事が入り、人工芝化するなど、大きな改良が施されました。

 

 私が高校時代、引退試合を行ったのは駒沢球場(現在)でのいい思い出です。あの一塁横が深く掘られていて、シロツメクサの生え散らかしたボコボコの外野、非常にやりづらかった印象です。人工芝化して、少し寂しいですね。

 

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硬式野球場 中学・高校野球公式戦のほか、高校やシニアチームの練習にも使用されています



 

 

 

 

 

 

 駒沢で麺、といったら、ここしか思い浮かばないでしょう。環七沿いにある、今や世界のブランドともなっている「せたが屋/ひるがお」です。


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 こちらの駒沢本店は、昼は塩ラーメンの「ひるがお」、夜は魚介スープの「せたが屋」として営業しています。本店至上主義の私、何年も前からここに来ることを夢見ていました。

 

    訪問は平日の13時半頃、席は減らされていながらもほぼ埋まっていました。

 

 

 

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塩玉らーめん(¥860)+大盛(¥110)



 

 スープは黄金色の美しい色。貝をUmami、それに続く魚介のUmamiは一口飲むと止まらなくなりそうです。

 またゆず皮がこっそりと入っています。時折感じるゆずの香りが、またスープにアクセントを加え、さっぱりとした印象を与えます。

 

 麺は細麺。少し固めに茹でられており、食感もよく、小麦香るおいしいオリジナル面です。こういう塩ラーメンにはやはり細麺ですね。

 

 

 特徴的なのが、上にかかった貝粉末とあおさのり。貝の粉末はもちろんUmami。いろんなUmamiをブレンドしたスープですが、これで貝のUmamiをより強調し、独特の風味をまた感じることができます。

 

 あおさのりもまた香りを加えるアイテムです。あっさりとした魚介系スープの塩らーめんに、あおさが合わないわけありません。もちろん終盤に、香り、味の変化を楽しみながら溶かします。

 

 

 

 いまやどこでも食べられるようになった「ひるがお」「せたが屋」ですが、本店はここです。高校野球応援やスポーツ観戦の帰り、少し歩いて本店の味を楽しんでみるのもいいと思います。

 

 

 昼に行くもよし、夜に行くのもよし。一度食してみて下さい。